8/12 プノンペン2日目 ポルポトの狂気 キリングフィールドとS21をめぐる
プノンペン2日目
トゥクトゥクとバイクタクシーの運転手の声がけがしつこいので、自分の中の危険センサーが反応し、小汚い格好で外出することにする。よれよれの白いシャツに泥で汚れをつける。やはり誰も声をかけてこない。声をかけてきてもすぐに興味をなくす。朝一番にゲストハウスで翌日のシェリムアップへのバスの予約をし、セントラルマーケット近くの、日本人相手の旅行代理店でアンコール遺跡のツアーの予約をする。
旅行会社を出たところで待ち伏せしていたトゥクトゥクのドライバーに声をかけられる。一日貸切りで25ドルで話がまとまる。(たぶん交渉で負けています)
激しい貧富の差、信号待ちをしているときは子供の物乞いがやってきます。
トゥクトゥクで20分ぐらいでキリングフィールドへ。
ポルポトの狂気については下のサイトをご覧ください。
http://fusigi.jp/works/works_8_d.html
外国人は入り口で現金を払い各国の音声ガイドを貸してもらえます。
地面がへこんでいるのは、遺体を掘り起こしたからです。
被害者の骨や衣服はまだ残る。豪雨が地面を拭うからです。
この木で、人々はのどを切られました。
乳児たちはこの木に打ちつけられました。
この木にはスピーカーが備え付けられ、革命の歌が大音量で流され、人々は愚かな歌を聞かされながら、無念の死を迎えました。
私はポルポトの手下達は、理念もなく、希望もなく、ただ人殺しや虐待が好きなだけだったんだと思います。大昔の話ではありません。歴史から見ればごく最近の出来事なのです。そしてポルポトを裁判にかけることをできずに、ポルポト亡くなりました。私はポルポト死去のニュースを昼のNHKのニュースで聞きました。大虐殺の被害者の死を悔しがり、追悼すろことが彼らの魂が安らかになることができると思います。
続いてカンボジア市内にあるトゥールスレン収容所へ
学校を収容所にをして利用していました。拷問用の水がめもあります。
収容者たちは拷問にかけらて、虐殺されました。
この狭い部屋で拷問を待つ屈辱はいかほどだったのだろうか、。